高城剛「『未来』も『リアル』も幻想である」←正論
◎FEATURE|honeyee.com Web Magazine
http://www.honeyee.com/feature/2011/takashiro_02/
高城剛の「『未来』も『リアル』も幻想である」を、山本ペロさんがFBでシェアしてたので読んだ。
そしたら、高城さんが6割僕が思っていることと同じことを考えていて、残り4割でその延長上にあることを語っていた。
多分、僕が何年かあとに得られたはずであろう「答え」を、先にバラされてしまったような感覚でもある…
さて、僕も常々、未来は決まったものではないし、まして誰か(政治家や活動家、大企業)に決められるものではないんだと思っている。
また、過去や歴史も、所詮ヒトの頭を通じた「お伽話」だし、200年前のことだって限られた文献や証拠から出た「推測」の域を出ない。例えば関ヶ原の戦いだって、見たことあるという人が現在いない以上、本当にあったかどうかなんて誰も証明できない。
しかし、高城さんの言葉を読んで、不確定な過去と不確定な未来のハザマにある「現在」だって、実はそれぞれの主観のもと「こうだ」と思っている幻想にしか過ぎないのではないかと思った。
それは、高城さんが「シュレディンガーの猫」を引き合いに出したけれども、僕達がいま見えている世界の、もう一段上のレイヤー(もしくは1秒後の世界)から見たときに、実は僕達自身がシュレディンガーの猫なのでないかということだ。
であれば、僕達は僕達の主観で、枠やルールなんて幻想だと気づき、やりたいようにやっていけば、僕達がいま想像する「最悪」にはならないんじゃないかと。
そのために、僕達はやっぱり「経済至上主義」から脱却して、お金のいらない生活づくりを念頭に、エコビレッジとは何かとかサステナビリティとかこれからはエシカル消費の時代だよね、とかグダグダ能書きたれてる間に、とっとと水と食料とエネルギーを自活できるようにならなきゃならんのではないかと思う。